女城主 岩村城 ― 2015年05月15日 18:15
岐阜の恵那市にある岩村城へ。
岩村城は、天然の地形を利用した要害堅固な山城で、本丸が諸藩の居城中最も高い標高717mに位置していた為、日本三大山城の一つとされています。
岩村城付近は霧が多く発生する為、別名『霧ヶ城』と呼ばれていたそうです。そして、自らを顧みず領民や家臣を守った女城主の物語があります。
車でしばらく山道を登っていくと岩村城に到着。立派なな石垣の脇の細い道を登って行きます。ちょっと急です。
岩村城は、天然の地形を利用した要害堅固な山城で、本丸が諸藩の居城中最も高い標高717mに位置していた為、日本三大山城の一つとされています。
岩村城付近は霧が多く発生する為、別名『霧ヶ城』と呼ばれていたそうです。そして、自らを顧みず領民や家臣を守った女城主の物語があります。
車でしばらく山道を登っていくと岩村城に到着。立派なな石垣の脇の細い道を登って行きます。ちょっと急です。


埋門跡(うずみ門)

案内板より・・・
両側と奥の石垣の上にスッポリと被さるように櫓が載せられ、石垣の間のクランクした通路には3か所に門扉が設けられていたそうです。門の右側には納戸櫓(二重櫓)が建てられていたそうです。
埋門跡を通って石垣の間を進んでいくと・・・

岩村城の本丸へ到着。
今はお城はなく、城跡となっています。織田信長が本能寺の変の80日前に宿泊したそうです。
築城主は遠山景朝で、1221年(承久3年)以降、鎌倉中期とされています。
遠山景朝は平安時代の末期から鎌倉時代初期の武将です。


岩村城は、1185年に遠山景朝の父親の加藤景廉がこの地の地頭に任命され創築されてから、鎌倉・室町の300年間と戦国時代の100年間、そして江戸時代の300年間にわたって城主を変えながら、明治時代の廃城令で廃城されるまで700年存続していました。

日本三大山城とあって眺めがいいです。山の上のお城というと岐阜には岐阜城がありますが、岐阜城のある金華山の標高は329m、岩村城は標高717mと高いです。

岩村城の見どころの一つ、『六段壁』
本丸の北東面に雛壇状に築かれた六段の石垣。もとは最上部のみの高石垣だったのが、崩落を防ぐ為に前面に補強の石垣を積み立てることを繰り返した為にこのような六段の石垣になったそうです。



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