春日山城跡2012年10月20日 23:18

春日山城跡に行きました。




春日山城は、戦国武将上杉謙信の城として知られる新潟県の上越市にあった中世の山城です。春日山城跡は国の史跡に指定されています。



まずは春日山神社でお参りを・・・・。主祭神は、上杉謙信です。




上杉家の重臣、直江家の屋敷跡。直江家は、上杉謙信の父為景の代から重臣として仕え、山城守兼続は謙信の跡目を継いだ景勝の家老として活躍しました。景勝が会津に国替えになったときに同行し、米沢藩30万石の城主となりました。




毘沙門堂、ここには上杉謙信が信仰していた毘沙門天の尊像が安置されています。青銅製で大きさは50cm。謙信は、必ず戦の前に毘沙門堂にこもり戦勝の祈 願をしていたそうです。毘沙門天は悪魔を降ろす神で、上杉謙信は自分の軍の降魔の軍と見なし、毘の字の旗を陣頭にかざし、この堂前で諸将に誓いを立てさせ たりしたそうです。

毘沙門天の尊像は、景勝の時に会津を経て米沢に移ったのですが、嘉永2年の火災で傷んでしまいました。その後昭和3年に、第15代の上杉憲章氏が東京美術 学校に修理を依頼され、名匠高村光雲先生が、一年余り費やし修理されたそうです。そして昭和6年に昔の堂跡に毘沙門堂を復元して奉安したそうです。





そして本丸跡。春日山城の『お天上』と呼ばれた場所です。標高180mの本丸からは、かつての越後府中(直江津)と周辺の山々の支城跡日本海が一望できます。






天守閣跡




天守閣から少し下って、景勝屋敷跡。景勝屋敷跡とその周辺の屋敷跡は大規模で、尾根を巧みに利用して段を削出し、数段で一つの屋敷を形成していたそうです。



井戸曲輪。廃城後400年の歳月が経ち、今も満々と水をたたえている大井戸。
春日山城が山城として最も最適な場所に造られていたことが分かります。数十年前に井戸さらいが行われ、滑車や杓などが見つかったそうです。どのように水が湧く地点を調べたのかは分っていないようですが、地質学的には西方の山々と礫層で繋がっていて、サイフォンの原理が働いて水が湧いているそうです。

中をもう少し覗き込んでみたかったのですが、少し離れた場所から柵で囲まれているのと、草が生い茂っているのとで井戸の様子はよく解らず・・・。




上杉三郎景虎屋敷跡。景虎は、上杉謙信の死後の跡目争い『御館の乱』で敗れた悲劇の武将です。小田原城主北条氏康の子で、人質として春日山城に来ました。跡目争いに敗れた後に自害しました。





春日山城跡、天然の要害を持つ難攻不落の城というだけあって、かなり疲れました。暑い季節だったこともありますが・・・。それにしてもよくこんな所にお城とか屋敷とか建てたな~、いい運動になりました(*^_^*)




ちなみにこちらは『謙信公出陣御前清水』 春日山の麓、大手道入り口先の道沿いにありました。上杉謙信が出陣前に飲んだってことでしょうか?




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