安土城跡 1 ― 2012年08月28日 23:14
安土城跡に行きました。
安土城は、織田信長が天下統一の拠点として天正4年(1576年)1月17日、重臣の丹羽長秀を総普請奉行に据え、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市 安土町下豊浦)に建造させた平山城です。安土山の標高は199mだそうです。
安土城の大手道。けっこう急で長い石段が続いています。
安土城は、織田信長が天下統一の拠点として天正4年(1576年)1月17日、重臣の丹羽長秀を総普請奉行に据え、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市 安土町下豊浦)に建造させた平山城です。安土山の標高は199mだそうです。
安土城の大手道。けっこう急で長い石段が続いています。

そして伝羽柴秀吉邸跡。上下2段に分かれていて、こちらは下の写真です。こちらには、馬6頭を飼うことができる大きな厩が建っていて、武士が控える遠侍と呼ばれる部屋が設けられていたそうです。

上の写真。こちらが屋敷の主人である秀吉が生活していた場所になります。

大手通でみられる石仏。城普請に使用する多くの石材は、近郊の山々から採取されるのですが、中には石仏や墓石なども使われていたそうです。何となく分かり ますかね~?石に仏様が彫られているのが見えます。大手通ではいくつもの石仏を見ることができます。出土した石仏は、もともとは信仰の対象となっていたも のですが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存しているそうです。

こちらは、仏足石。室町時代中期のものです。仏足跡は、お釈迦様の足跡を再現したものです。他の石仏と同じように築城の石材として集められ石垣に使われて いたもので、昭和初期の登山道整備の際に発見されたそうです。ちなみに、日本で現存する最古の仏足石は奈良の薬師寺にあるそうです。

かなり登ってやっと本丸跡。信長公記に、この本丸には天皇を招き入れる『御幸の間』があったと記載されているそうです。調査の結果慶長年間に改修された京都御所内の天皇住居である清涼殿と酷似した構造になっていたことが分かったそうです。

次は天守閣跡に続きます。
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